久山町研究の40年で何が分かったか

久山町研究の40年で何がわかったか
〜生活習慣病の時代的変遷〜


ゲスト
九州大学大学院医学研究院環境医学分野教授
清原 裕



ホスト
財団法人緒方医学化学研究所常務理事 佐賀大学名誉教授
只野 壽太郎




只野:清原先生、今日はお忙しいところをありがとうございます。この対談では、特に先生の今やられています久山町の研究をテーマにお話をいろいろお聞きしたいと思います。


ロストフ医科大学に入学したのは

只野:まず最初に、先生は多分日本の医科系大学教授では1人しかいないと思いますけども、ロシアのロストフ医科大学のご出身ですね。先生はどうしてロシアで医学を勉強する気になったのか、あるいはどうしてそういうことになってしまったのか、ということをお話し願えますか。

清原:実は、これをお話しすると1時間以上かかってしまいそうです(笑)。

もともと私は医学を志していたのではなく、ロシア文学を勉強するつもりでロシアに行きましたが、手違いで医者になってしまいました。ロシア文学を志したというと聞こえは良いのですが、当時、私の高校時代はちょうど日本で海外旅行が始まろうとしていた時期です。東西冷戦があり世界が二分されていたので、英語とロシア語の両方しゃべれたら世界中を旅行できるのではないか、という単純な発想でした。ロシアのどこかの大学の文学部の言語学科に入って、第一外国語はロシア語、第二外国語は英語を取って両方を勉強できたらいいなあと考えた次第です。

ところが、向こうの新学期は9月ですけれども、日本を出るときに台風が来て出発が1週間遅れてしまいました。ロシアでは各学部が語学学校を持っており、文学部の語学学校に入れてくれると聞いていたのですが、ロシアに着いたら文学部の語学学校は既に外国人でいっぱいでした。「いっぱいだから、おまえはロストフ医科大学の語学学校に行け」といわれて、そこに行かされました。「そこには行きたくない」と言ったのですが、「どうせ1年後に大学受験があるから、そのとき志望校を受ければいい」といわれて、仕方なく行くことにしました。ところが初めの半年間は簡単なロシア語だけなのですけど、医科大学付属の語学学校ですので、後半は医学用語ばかりしか教えないのです。そして、大学受験は1年間やったロシア語が試験で出るということが後になってわかりました。ということは、もう……。

只野:医学部にしか行けない。

清原:そういうことになって、かなり悩みました。もう日本に帰ろうと思っていたら、語学学校のロシア語の先生が相談に乗ってくれまして、私の話を聞いてその先生が「ユタカ、おまえはラッキーだ!」というのです。「なぜですか?」って聞いたら、「文学とは何ぞや? 文学とは生活から滲み出たもので、ロシアのパンを食べ、ロシアの友達と酒を飲み、ロシアのかわいい女の子とデートする。これすなわちロシア文学だ」というのです。更に「これを体験して、なおかつ医学も勉強できるというのは、おまえはラッキーだ」というのです。私は単純で説得されやすいほうなので「そうかな」と思ってしまいました。特に最後の「ロシア娘とデート」はしたことがなかったので(笑)、そのままずるずると残って医者になってしまいました。


ロストフは2つある

只野:ロストフという町の正式な名前はドン川にあるロストフということですが、ドン川とはあの『静かなるドン』のあの川のほとりにある大きな町ですか。

清原:そうです。人口は100万人ほどの南ロシアの商業、工業の中心地です。ロシアにはロストフが2つあり、モスクワ近郊の小さなロストフと南のロストフです。南のほうがロストフ・ナ・ダヌー「ドン川上のロストフ」が正式名称です【図1】。


只野:ロシアの南ですとウクライナに近いですか?

清原:はい、西側にウクライナがあり、南側にコーカサスがあってグルジアやアルメニアにも近いところです。

只野:昨年、先生とご一緒にサンクトペテルブルクに行きましたけど、あっちの人たちは男も女もみんながっしりとしていますよね。先生は今でもスマートで、多分高等学校で行ったばかりでは向こうの人から比べるとほっそりとして、何か病弱のように見られませんでしたか? 体力も違うのによく対抗して7年間もあちらで勉強できましたね。

清原:ロシア人は確かに身長が2メートル近くて太っていないのに100キロ位の人もいれば、私ぐらいの人も結構いました。いろいろな人種がいて混血が進んでいましたので、体格は様々でした。私はちょっと小柄な程度だったと思います。高校を出てすぐでしたが、あの頃はあまり健康ではなく病弱でした。中学校時代には、ひょろっとしていたので、あだ名が「もやし」でした(笑)。私の親はロシアで死んで帰ってくるのではないか、というぐらい心配したようです。ところが、行ってみると気候が体に合ったのでしょうか、向こうでかなり健康になりました。というのは、寮に入って一緒の部屋のロシア人が筋肉トレーニングをやっていたのです。私の細い体を見かねて「ユタカ、おまえもやれ!」と言ってくれまして、一緒にやったのが幸いしてそれでかなり健康になりました。しかし、体力的にはかないませんでした(笑)。あとは「おれは日本人だ」という心意気だけで何とかもっていたようなものです。


九州大学第二内科に入局した経緯

只野:卒業してからロシアの医者として専攻したのは産婦人科ですか?

清原:ロシアの医科大学も6年制なのですが、日本の医学部にある教養課程がないのです。1年目から医学教育が始まって、5年ですべての教育が終わり、最後の6年はインターンです。日本の研修医のローテーションみたいな形でいろいろな科を1年間回るコースと、1つの科で1年間トレーニングするという2つのコースがありました。私はたまたま産婦人科の先生からかわいがっていただいて、1年間産婦人科のトレーニングを受けさせてもらいました。それで、産婦人科医になるつもりで日本に帰ってきました。しかし、またちょっとした手違いがありまして、内科に入ってしまいました。

只野:先生はお生まれというか育ったのは福岡で、九大に来て外科系を目指したのに第二内科に入られて研究をし、久山町研究室にたどり着くまでにはどのような経緯があったのですか?

清原:外科系志望で日本に帰ってきたのですが、日本の医学事情や医学教育については五里霧中でまったく何もわかりませんでした。当時、たまたま九州大学医学部の卒業生に高校の同級生がおりまして、彼に相談したところ「九州大学第二内科の医局長を知っているからおまえを紹介してやる」と言われ、内科の話も聞いてみようと思って面会に行きました。そうしたらそのまま「お前、二内科に入れてやる」といわれて入局してしまいました。もともと九州大学第二内科は臨床を重視する教室で、私も臨床が大好きでしたので波長が合ったのでしょうが、その頃は考え方がかなり大陸的というか、結構いい加減だったと思います。

第二内科は臨床の教室ですけれども、久山町の疫学調査というユニークなことをやっています。私は疫学には全く興味がなく、2年の臨床研修が終わる頃には脳卒中の専門医になろうと思うようになり、研修後は脳循環研究室に入るつもりでした。当時の教授が尾前照雄先生でして、研修後の研究室配属を決める面接で、尾前先生から「君は何をやりたいか?」といわれ、「脳卒中の臨床をやりたい」と申し上げたら、「久山町の疫学研究でも脳卒中の勉強はできるがどうか」と言われました(笑)。それが2年目の研修が終わる前の年、1979年の11月で、「私はリサーチはやりません。とにかく臨床一筋でいきたい。」と固辞いたしました。そこから翌年の3月まで延々4カ月間「入りなさい」、「いや、入りません」と話し合いは平行線でしたが、最後は「とにかく2年でいいからやってくれ」と尾前先生から頼まれるようになりました。教授から頼まれると断るわけにもいきませんし、第二内科に拾っていただいた恩もありますので、「先生、じゃあ2年間だけお世話になります」と申し上げて、久山町研究室に入りました。そのようなわけで、最初は疫学をやる気はまったくありませんでした。久山町研究のユニークさは臨床医が臨床の視点をもって疫学をやるところにあるのですが、第二内科に入る医師の大部分は一流の臨床医になることを目指していますので、久山町研究はすこぶる人気がなくて、人材確保が歴代教授の大きな懸案事項で頭痛の種でした。それで研修医の私が、教授からお願いされるようなことになったのです【図2】。


只野:それで結局2年で戻らずに、今は4代目の室長ですか。

清原:室長といいますか現場監督といいますか……。

只野:鹿田安夫先生が初代室長でしたね。先生はそれからはずーっと久山町研究にどっぷりと浸かったわけですか?

清原:そうなってしまいました。最初の2年間は何をやったかといいますと、尾前先生の講演用のスライドばかり作っていました。2年たって臨床に戻ろうと思いまして、「お約束の2年ですが……」とおそるおそる尾前先生にうかがいを立てたら、教授から「ばか者!」と一喝されました。「えっ、お約束は2年のはずですけど……」と申し上げたら、「久山町研究はデータが豊富だから、2年で学位論文ができるから私は君に2年と言ったのだ。君は未だに論文を書いてないではないか」といわれました。そんなことはその時初めてお聞きしました(笑)。

これは論文を書かないと一生出られないと思い、それからあわてて論文を書きはじめて、3年かけて論文を1つ書き上げました。ところが、論文を書き上げたとたんに、尾前先生は国立循環器病センターの病院長に就任されて、いなくなってしまいました。私は脳循環研究室からの出向という形で久山町研究室にいたのですが、当時の脳循環研究室のボスだった藤島正敏先生は、「早く脳循環研究室に帰って来い」と常々言っておられたのですが、尾前先生の跡を継がれて教授になられた途端に、「久山でもう2年やってくれないか」と言い出されました。ただ、この頃には久山町研究の重要さと醍醐味がおぼろげながらわかるようになっていまして、臨床に戻りたいという気持ちを残しつつも、もう少しならば久山町研究をやってもいいという気持ちが芽生えておりました。このような形でずるずると延びていって、いつの間にか辞められなくなったという次第です。


久山町研究の特徴

只野:今お話に出ている久山町の研究は世界でも一級のコホート研究の1つですけども、これから少しこの久山町研究についてお話をうかがいたいと思います。

久山町研究は1961年に始まりましたが、どのような特徴がありますか。

清原:一番大きな特徴は、やはり臨床医がやっている疫学調査ということです。本来、疫学調査は公衆衛生学の先生方がやりますが、久山町研究では内科医がやっています。これは初代の勝木司馬之助教授からずっと続いていることですけども、住民一人ひとりを自分の患者さんと思いなさいという教育を受けてやっているのです。久山町研究のメインテーマは脳卒中ですが、脳卒中の発症があれば1例1例を臨床医の目で見て診断し、その情報を大切にします。1例1例の精度の高い情報の集大成として、久山町の疫学のデータベースがあります。臨床研究と疫学が融合しているといってもいいかもしれません。

久山町研究の2つ目の特徴は剖検率が高いことで、今でも大体80%前後を維持しています。研究の精度を臨床研究のレベルで行うとなれば、死因や隠れた疾病を剖検で確認するという発想です。3つ目は、今の時代まで剖検率が80%までご協力いただいているのですから、他のデータもやはり精度をできる限り高めようと努力していることです。久山町では徹底した追跡調査を行うという不文律があり、そのため過去47年間で行方不明になった人が5名しかいません。町外に転出しても、毎年連絡を取って健康調査を行い、何か疾病を発症している可能性があれば主治医にお願いして臨床情報を全部送っていただき、こちらでもう一度それを見直して、診断をし直すということをやっています。

こういった隠れた地道な努力をやっているので、いろいろな疾病の発症情報の漏れがほとんどないということから、他の疫学のデータと大きな違いがあります【図3】。



久山町が選ばれた理由

只野:久山町は福岡県で、九州大学にそれほど遠くないのですけど、あそこがどうやって選ばれたのですか? 勝木先生がまずあそこに目をつけたのはどのような理由からでしょうか。

清原:久山町が九大から10kmほどで近かったことがあります。車で30分ほどです。更に、町の人口構成および職業構成が日本の平均的レベルで、町住民が平均的な日本人のサンプル集団であったことも大きな理由です。奇跡的ですが、この特徴は今でも変わっていません。また、当時の江口浩平町長をはじめ町の人が調査に賛同しくれたことも、久山町で研究が始まった大きな理由です。江口町長は陸軍大学を卒業した職業軍人だったそうで、主計局に所属し統計資料の取扱いに熟達していたようです。ご自分で町民の死因等を調べるなど医学的なことに興味を持っておられたこともあって、私たちを受け入れてくださったと聞いています。

只野:人口は7,000~8,000人の間位ですか?

清原:今8,000人位です。研究開始時は約6,500人です。当時は、疫学調査として適当な人口規模だと判断したようです。

只野:久山町は農村と都会が入り混じっている場所ですね。町長さんの自然保護という信念があったので、あまり町を広げず、団地を作ってどんどん人を入れるようなことはしない。プールは作らず川をきれいにして何とか使うようにする、など住みやすい町をつくるということに非常に腐心された、ユニークな町長さんだったようですね。


健康を目玉にした久山町の町政

清原:その方は2代目の小早川新町長です。ちょうど久山町研究が始まって4年目に町長が交代して、小早川さんになったのですけど、この方が、今先生が言われたような町政を始めました。実はこれは久山町研究の影響なのです。

これは私が後で小早川さんからお聞きしたことですが、当時、まだ大学機関が市町村に入って健診をやるということは非常にまれでしたし、健診制度がない時代でしたから、大学が住民健診をやることは久山町の方々から大変喜ばれましたし、町民の健康に対する意識も高まっていました。だからそれを利用して、「健康」を町政の目玉にしたということです。小早川さんが作られたキャッチフレーズが「人の健康、土地の健康、社会の健康」でした。小早川さんは、人が幸せになるには健康が不可欠だが、ただ体の健康だけでは不十分で、「土地の健康」、つまり住んでいる環境が健全であることが大切であると言っておられました。言い換えれば環境問題が重要だと言うことですね。また、人は社会的動物ですから、「社会の健康」、つまり住んでいる社会も健全でなければならない、という持論でした。「人の健康」は九大の先生方にお任せするが、「土地の健康」と「社会の健康」のことは政治家の自分の仕事だと言っておられました。それで環境を守るために町の土地の96%を市街化調整区域にして、開発はしないことを実行に移しました。新しい住宅がほとんど建てられませんので、人口の移動がほとんどありません。これが、疫学研究が非常にやりやすい環境をもたらしてくれました。また、小中学校での情操教育に力を入れたり、昔の良き日本の社会的な繋がりを大事に残す努力をされまして、久山町の方は皆さんおおらかで私ども部外者に対しても寛容です。それで疫学研究や剖検に対しても多くの方が協力してくださるわけです。つまり、お互いに良い方向に影響し合って、久山町研究と町作りを今日まで続けてきたといえます。


久山町研究が40数年続いた理由

只野:1961年に始まりましたから、40数年続いているわけですが、通常こういうものが40数年もうまい関係で続くというのはないです。先生はかなり長期にわたって久山町でお仕事をされていて、40数年も良い関係を保ち続けた一番の原因は何だとお思いでしょうか。

清原:それは私ども九大の医師と住民との信頼関係だと思います。そして、その信頼関係を築いたのは、初代の研究室主任の鹿田安夫先生と2代目の竹下司恭先生です。第二内科の公式の歴史では、初代の勝木司馬之助教授が剖検を発案して今の久山町研究のスタイルが決まったことになっています。でも、後でよく聞いてみると勝木先生は剖検のことは一言も話したり、やるように命令していません。初代の研究室主任の鹿田先生が、脳卒中の実態を明らかにするには剖検までやらなければ駄目だと考えて、剖検のシステムをほとんど1人で立ち上げています。

ただ、最初から簡単に剖検の承諾を得ることができたわけではあ。ません。最初に住民への説明会で剖検の話をしたときには、もうちょっとで住民から袋だたきに遭いそうになったというぐらい猛反発を食らったそうです。ところが、住民の方々に対して九大のスタッフが献身的なお世話をして医療相談、健康相談に乗っているうちに、「九大の先生方があれだけ頑張ってやってくださっているのだから、剖検に協力しようじゃないか」、と住民側から剖検をやろうという機運が盛り上がって剖検が始まったと聞いています。竹下先生は真撃に住民の医療相談、健康相談に乗り、よく住民と酒を酌み交わして信頼を得ていきました。つまり、鹿田先生がシステムを立ち上げ、竹下先生が地固めをやったということです。私たち後に続く者は、お二人が敷いたレールを走りながら、その遺産を必死に守ってきたわけです。そうやって研究が続いていくうちに、久山町研究と健診事業が町政の重要な目玉になり、九州大学医学部の戦後最大の研究に育っていったわけです。つまり、研究者の情熱とそれに応えてくれた住民の方々の真心、そしてお互いの信頼関係がこの研究を長く続けられた大きな原動力だと思います。


久山町と久山町研究室との関係

只野:『剖検率100%の町』という本には、1例目を取るまでの苦労とか、あるいは棺桶を担いで歩くとかなど信頼関係を構築した記載が詳細に載っていますね。私は1981年に佐賀医科大学に赴任しましたけども、当時は大学病院に入るとか、これは佐賀では手に負えないから九州大学に行きなさいといわれると死ぬのと同じことだという感覚でしたから、とても剖検なんて言い出せる雰囲気ではなかったと思います。

今、嬉野で開業している内科の医者ですが、彼は佐賀医大の研修医から医局員の時代の5〜6年間、自分の患者は百パーセント剖検を取ったのです。これは非常に有名ですが、今はそれこそ2〜3割とか惨たんたるもののようです。本当の患者との信頼関係は、患者だけではなくて家族全員があの先生に診てもらったから仕方がないのだ、というようなことが九大第二内科久山町研究班と町民の間にできあがったからこそできたのではないかと思っています。

剖検率は、最初は低かったようですけど100%の時もあり、今も80%位ですね。先生が言われているように追跡調査の落ちこぼれが5人というのは誤差範囲です。ところで、受診率はいまでも9割以上ですか?

清原:今は大体8割位です。

只野:久山町に行っている先生のお話では、健診があってもこない人には「どうしましたか?」というような電話を掛けているようですね。

清原:5年に1回の大健診を私どもは一斉健診と言っているのですが、このときに40歳以上住民の8割の受診率を目指して健診をやります。健診に来ない人にはまず保健師さんが5~6回電話をかけたり訪問したりして、勧奨します。それでも来ないときには今度は私ども医師が電話を掛けたりして、合計10回くらい声を掛けます。そうすると大体皆さん、根負けして仕方がなく来られます(笑)。住民の方々は「もういいかげんにしろ」と思われるのでしょうけど、そういうことはほとんど言われないですね(笑)。九大の先生たちだから仕方がないと、住民の方々が私たちを受け入れてくださっているのだと思いますが、私どもも常に感謝の気持ちを忘れないようにしています。

只野:久山町でも先生のようにずっと長い間あそこで研究されている人もいますけども、今の第二内科のシステムからすると、指名を受けた人が何年間か来て勉強し、そこで仕事をして論文を書いて、臨床に戻るという方が大部分だと思います。研究室が受け継がれていくというのは、勝木先生がお作りになった第二内科第7研究室の1つの理念や哲学があったのではないでしょうか。

清原:その通りです。勝木先生時代には1研から15研ぐらい研究室があったようです。その中で久山研究室が第7番目の研究室だったのです。その7研という名が今でも残っていまして、久山研究室は別名7研といいます。ただ、今の若い人は7研と言ってもわからないようですが。この7研の中で、住民との信頼関係をいかに継続するかの教育が受け継がれています。

只野:久山町と久山町研究室が非常に良い関係で進んできていますね。


ヘルスC&Cセンターの目的

只野:ところで、ヘルスC&Cセンターをお作りになったようですが、C&Cは何の略ですか?

清原:Check and Careの頭文字を取ってC&Cです。正式な名称が久山ヘルスC&Cセンターです【図4】。


只野:立派な施設ですが、町が作ったものですか? 普段は何をしているのですか。

清原:町が国のお金で健診センターを作りました。センターでは主に住民の健診をやったり、健康増進活動をやっています。

只野:そこには保健師さんとか専門の方もいるのでしょうか?

清原:保健師さんも常駐していますし、外部の業者に委託してフィットネスをやったりしています。

只野:隣が温泉ですがそういう意味では保養というのはないのですか?

清原:あれは実はバブルの時代に、久山町が中心となって健診を対外的に事業化しようとして建てた温泉です。町外の人をホテルに泊めて、C&Cセンターでレベルの高い健診をやってお金もうけをしようと町が考えたのです(笑)。ところが、建物ができた途端にバブルがはじけてしまいました。バブル時代は企業が潤っていたので、従業員の福祉にお金をかける余裕がありましたので、それをアテにした企画でした。ところが、バブルがはじけると企業にそのような余裕がなくなり、事業が成り立たなくなりました。

結局、温泉付きのホテルは民間の方が運営して、そちらは事業として成り立っています。私たちにはC&Cセンターが残りました。

只野:そうすると、久山町の人たちは日常的にヘルスC&Cセンターに行きいろいろな健康相談をしたり、健診を受けたりするわけですが、採血から検査まで全部行っているのですか?

清原:はい、すべて行っています。夏の間に健診を集中的にやっています。それ以外のときには、先ほど申し上げたような健康の増進活動をやっています。また、ヘルスC&Cセンター内にスペースを作っていただきしたので、私どもの研究室が大学からセンターに移りましたので、研究スタッフの医師が常駐しています。したがって、住民の方々の健康相談や医療相談に乗る場にもなっています。

只野:町の人口が約7,500人とすると、健診が40歳以上の人が対象者ですと大体何人ぐらいになりますか?

清原:今はちょうど4,200〜4,300人ぐらいです。健診は13回やりました。最初の健診は1961年で、当初はほぼ2年ごとにやっていたのですが、1973年から5年ごとになりました。2年毎の健診ではとてもリサーチをやる暇がないので、2代目の尾前照雄教授になったときに2年を5年に延ばし、その方式が今も続いています。

ただ、一斉健診の間も毎年健診を行っていますが、ここ10年ほどは端境期の健診も受診者が2,000名を越えますので、毎年大変です。


久山町研究室の病理について

只野:久山町研究室が素晴らしいと思うのは、第1例から現在までの全てのカルテがきちんと保管されていることと、もう1つは病名付けが一定の基準できちんと行われていることです。特に、日本の多くの病院のカルテに書かれている病名では統計的に研究ができませんが、一定の基準で書かれていることに感銘を受けます。それからもう1つは剖検率が非常に高いということですね。これからいろいろお話をおうかがいしますが、先生方の研究にとっては剖検所見がすごく大切なデータだと思います。病理学教室が2つあったとお聞きしていますが、それぞれ田中先生と遠城寺先生の教室ですか?

清原:当時は第1病理と第2病理と言っていたのですけど、今はそれぞれ病理病態学と形態機能病理学といいます。第1病理が動脈硬化で、第2病理が癌専門です。住民の方はいろいろな病気で亡くなりますので、両方の病理に参加していただきました。今は認知症などがありますので神経病理が加わりまして、3つの病理にサポートをいただいています。

只野:解剖はどこでやるのですか?

清原:九州大学で行います。

只野:初期の頃には久山町から九州大学に持っていって実施するのは大変だったでしょう?

清原:最初のころは道路の事情も悪かったので大変でした。自宅前まで霊枢車が入らないので、ちょっと先に止めてその間は棺桶を担いで行くのですが、担ぎ手がいないときは研究スタッフの医師が担ぎました。それで、私たちの研究室のあだ名が「棺桶担ぎ」だったのです(笑)。棺桶担ぎと聞くと若い研究者がますます入らないわけです。

只野:今の医者になる人たちの動機というのが先生方の時代から比べればかなり純粋なのか不純なのか分かりませんけれども、とても大事にされて育っていますから、なかなか納得できないのではないでしょうか(笑)。


久山町研究とフラミンガム・スタディの違い

只野:久山町研究は日本ではどこも真似できず追いつくことのできない研究ですけども、これと同じように評価されているのが1948年にボストンの近郊で始まったフラミンガム・スタディです。この研究は2万数千人の町を対象にして主に心臓疾患を中心にしています。フラミンガム・スタディと先生たちのいわゆる久山町研究とは根本的特徴で違うところがありますか?

清原:スタディ・デザインが違うことでしょうか。

只野:具体的にはどのようなことですか。

清原:フラミンガム研究では、フラミンガムの町住民に研究ボランティアを加えて5,000人弱の集団を作って追跡しています。したがって、本当は一般住民の代表的なサンプル集団ではありません。そして、1つの集団だと追跡が長くなると集団が高齢化し死亡脱落しますので、継続できなくなります。今、フラミンガム研究の追跡は中止されているはずです。一方、久山町の場合は住民全体を対象にし、先ほど申し上げたような一斉健診を定期的にやるので常に新しい集団を設けることができます。したがって、60年代から現在にいたるまで、時代の異なる日本人の健康状態を知ることができますし、健診を続けることで理論的には永遠に続けることができます。

只野:私は疫学のことはよく分からないのですけども、フラミンガム・スタディは人を登録させておいてその人たちをずっと追跡していく研究手法ですので、登録研究というのですか?

清原:登録しその人たちを追跡しますので、前向き追跡研究、あるいはコホート研究といいます。

只野:そうすると登録した人たちの代が終わってしまえばある程度結果は出るけども、亡くなればそれで終了ということになりますね。一方、久山町研究では40歳になる人は毎年毎年出てきますので、そこで目新しいことが比較もできるし、新しい研究も追加できるということが大きな特徴なのでしょうね。

清原:その通りです。一斉健診の受診者を全員追跡しています。健診のデータを比較することで、高血圧や糖尿病など生活習慣病の頻度の時代的変化をみることができますし、その追跡調査から、その時代における死亡や心血管病発症などの予後とその原因、つまり危険因子を検討することができます。


心血管病の危険因子

只野:これからちょっと久山町研究の内容とその成果についていろいろお話をうかがいたいと思います。

かなりたくさんの研究テーマがあるわけですけども、大きく分類すると心血管障害、脳卒中の関連、高血圧、悪性腫癌(癌)があります。最近では特に老年期認知症、それから一番新しいのはゲノム疫学ですね。この辺りのテーマは、先生が総説にもお書きになっているようなきちんとしたエビデンスに基づいた結果が出ている部門だと思います【表1】。


最初に心血管病からおうかがいしたいのですけれども、心血管障害ですが研究を始められたころと現在とは、やはり時代が経ってくると、もちろん治療法や高血圧の薬が非常に発達してきたので血圧コントロールが非常に上手く行くようになったこともありますが、発症率の推移は激変しましたか?

清原:久山町研究は脳卒中の実態調査として始まりましたが、その発症率はこの40年間大きく減りました。特に比較的若年者に多かった脳出血の発症率が大きく低下しました。ただ、高齢者の脳出血発症率が逆に上昇傾向にあります。一方、最も頻度の高い脳梗塞の発症率は時代とともに着実に減ってきています。1950〜60年代に世界で最も高かったわが国の脳卒中発症率は大幅に減って、それが死亡率の低下につながっています。一方、同じ動脈硬化性疾患でも虚血性心疾患の発症率は全く変化していません。

只野:虚血性心疾患は減らないですか。

清原:減っていません。

只野:増えていますか?

清原:増えてもいません。60年代から今日までずーっと横ばい状態です。これは面白い現象です。

脳卒中発症率が減ったのは、おもに高血圧治療の普及によると考えられます。この間、喫煙率も減っていますので、これも脳卒中、とくに脳梗塞を減らす方向に働いているといえます。この高血圧管理の普及や喫煙率の低下は虚血性心疾患の発症率を減らしてもよさそうなものですが、現実はそうではありません。その理由として、糖尿病、高脂血症、肥満など代謝性疾患の増加が挙げられます。これら代謝性疾患の増加が高血圧治療や喫煙率低下の予防効果を相殺しているために、虚血性心疾患が横ばい状態になっていると考えられます。

最近、1962年から2001年までの連続剖検例における突然死の頻度を検討しました。日常元気な生活を送っていた人が何らかの疾病で24時間以内に急に亡くなる場合を突然死と定義すると、この40年間にわたり死亡者の約10%が突然死で、その頻度に時代的変化はありません。つまり、昔も今も10人に1人が突然死するのです。しかし、突然死の原因を調べると、時代とともに脳卒中の突然死が減って、虚血性心疾患の突然死が増えています。そして、最近増えている虚血性心疾患の多くは1時間以内の突然死です。ということは、水面下では虚血性心疾患のリスクが高まっていると考えられます。今は、高血圧や高脂血症に良い治療薬がありますから、高血圧や高脂血症の人は、治療である程度虚血性心疾患のリスクが抑えられて、虚血性心疾患発症率全体は上昇していませんが、そのリスクは次第に高まっていると推定されます【図5】。


只野:予備軍が水面下にたくさんいるということですか?

清原:水面下で、日本人の心臓の冠動脈硬化が進んでいると考えられます。

只野:増えてきて、何かの引き金があると突然死となるわけですね。

清原:そうですね。あと5年、10年先になってくると、日本人も虚血性心疾患の発症率が上昇に転じる可能性が高いのではないかと思います。

只野:高血圧の発症が減っているというのは、だいぶ前に秋田県立脳血管センター2)に講演を頼まれて行ったとき、院長が「こんな立派なものを建ててもらったのだけど、ここで脳卒中が減ったのは冷蔵庫が普及したからだ」と話されていました。冷蔵庫による保存ができるようになったので「しょっぱいもの」を食べなくなったようです。そのような話をすると研究所がなくなってしまうのでいろいろ医学に関係あるようなことを話しているけども、間違いなく塩辛い漬け物とかによる塩分摂取が減ったからだとおっしゃっていました。

そういう意味では、全国的に降圧剤で血圧コントロールが非常に良くなっているといえます。高血圧の危険因子は、今までは年齢、女性よりも男性のほうが危険率が高い、アルコールの摂取、BMI(Body Mass Index)等であると言われています。先生たちのデータをちょっと読ませていただくと、やっぱりインスリン抵抗性というか、これがかなり効いているようですね。

清原:最近の集団はそうです。久山町の1961年から2002年までの健診成績を比べてみると、高血圧の頻度はほとんど変わりません。最近になればなるほど高齢者の割合が増え集団が高齢化しているので、統計学的に年齢調整して年齢の影響を除きますと、高血圧の頻度はほとんど変わらないのです。しかし、高血圧治療が普及して脳卒中発症率は低下しました。一方、肥満、高脂血症、糖尿病など代謝性疾患が増えて虚血性心疾患や脳梗塞の新たな危険国子となっています。最近の久山町の集団では、インスリン抵抗性やメタポリックシンドロームが心血管病の重要な危険因子となっています【図6】。


只野:アメリカのインディアンの保留地に文明が入ると、すぐにコカコーラとマクドナルドが入ってきました。マクドナルドに付き物はフライドポテトで、これの塩が非常に美味しいので、インディアンが急激に食べるようになりました。同じ部族のインディアンが2つあって、片方は今でもメキシコにいるらしいのですけど、そこはまだ昔の生活をやっているのでほとんど高血圧とか糖尿病がありません。もう一方のアメリカに残っているインディアンには高血圧と糖尿病が非常に多いです。

これは世界的な傾向で、ケニアでもマサイ族の例ですが、電気がつくとすぐにコカコーラとかアメリカのジャンクフード屋が入ってきて、牛のミルクと血を飲んでいたのが、おいしいですからジャンクフードを多量に飲み食いするようになりました。ケニアは日本と違ってこれらに対する薬が乏しいので非常に短命になったようです。

2008年1月の鹿児島における予防医学会で、沖縄でずっと長い間高齢者の研究をしている先生のお話を聞いたのですけども、沖縄も米軍が入ってきてゴーヤチャンプルを食べなくなり、塩辛いファーストフードを食べるようになったら急激に若い人たちの死亡率が高くなって、平均寿命が前はずっと全国1位だったのが今では15〜20位とかになってしまったと話されていました。

清原:沖縄の男性の平均寿命は他の地域と比べてかなり低くなりましたね。

只野:また、小・中学生の肥満が日本一になってしまったようです。食事コントロールをすればいいのでしょうけども、今の文明食というのはそれがかなり難しいようです。その辺が高血圧について久山町研究でいろいろわかったことだと思います。


腹囲の基準につい

只野:今、メタポリックシンドロームが非常に騒がれています。今までは病気というと、高血圧は血圧が高いから下げよう、コレステロールが高ければそれを下げようとしてきました。メタポリックシンドロームのように各種の疾病を全体に捉え、それをひどくならないうちに抑えておくという考え方は良いことだと思っています。

ここで先生にお聞きしたいのは、新健診がこれから始まり、腹囲の基準は男性が85cm、女性が90cmとなっていますが、これに関しては色々なところから反論があり、それをみると、きちんとしたデータに基づいておらず経験的に決められたと反論しています。先生たちのグループは今までの研究を基にして、2008年1月の日本癌学会で腹囲は男性90cmと報告されていますね3)。

清原:久山町の追跡調査では男性90cm、女性80cmの腹囲基準のほうが良いという成績を報告しました。

只野:アジア・パシフィック基準のほうが合うということですね。非常に興味があるので、もう少し詳しくご説明いただけますか?

清原:メタポリックシンドロームとは、内臓肥満あるいはインスリン抵抗性を基盤に高血圧、高脂血症、耐糖能異常などの代謝性疾患が合併する病態で、1つひとつの危険因子が軽症であっても、それが合わさることによって動脈硬化が進展して虚血性心疾患や脳卒中を起こすという考え方です。つまり、メタポリックシンドロームがあると将来の動脈硬化性疾患のリスクが高くなるということです。したがって、メタポリックシンドロームの診断基準は、久山町研究のような追跡研究で本当に将来起こる心血管病を予測するかどうかを検証しなければなりません。日本ではそのような検討が全く行われていないままに診断基準が設けられています。

久山町では88年の健診から腹囲を測っていますが、この集団の追跡調査で、日本の基準も含めて世界の色々なメタポリックシンドロームの診断基準を検証してみると、先ほど先生がおっしゃったように日本の内科学会の診断基準が用いている腹部肥満の基準、男性85cm以上、女性90cm以上で判定した腹部肥満は全く将来の心血管病の発症と有意な関連が出ないのです。それよりも、男性90cm以上、女性80cm以上のアジア・パシフィック基準が将来の心血管病発症を予測するうえで有用です。日本のメタポリックシンドロームの診断基準は、このあまり使えない腹部肥満の基準が必須項目ですので、診断基準自体も問題ではないかと思います【図7】。


只野:その決め方もあの方法がいいのかわかりません。臨床疫学の研究は、大規模なコホート研究が一番であって、アメリカの基準では一番下がいわゆるボスの意見です。日本のメタポリックシンドロームの基準の決め方というのは、6つくらいの学会のボスを集めてそのボスが決めたから、程度が一番低いのではないかと思います。これは日本の医学の問題点です。先生の発表を見て、会場からいろいろな意見とか、反対とか賛成とかはありましたか?

清原:今申し上げた久山町のデータを提示すると、皆さんやっぱりそうかと思うようです(笑)。

只野:何も言えなくなりますね。

清原:今後どうすればいいのだという話になるわけですけども、なかなか学会が基準を改めてくれません。

只野:残念なことにそうなのですね。今度日本人間ドック学会があるのですが、そこにメタポリックシンドロームの演題がたくさん出ています。ところが、これが全て85cm、90cmが正しいというのです。人間ドックをやっている人が新健診をやる人ですから、文句を言われてはいけないと発表するのでしょうが、何か日本の臨床疫学研究の非常に情けないところだと感じます。

アメリカではもう少し広げて健診ということで既に1982年から84年ぐらいにかけて文献を全部集め、ある検査が健診に本当に役に立つかどうかという調査をしました。そうすると、日本が採用している健診の項目はほとんど向こうでは「こんなものはやっても無駄だ」ということになりました。女性に対してCBCでヘモグロビンを測って貧血を見つけることは良い。糖尿病は健診でやるよりも、むしろ当時のリポートでは妊娠した女性に対して健診をすべきだけども、そうではない一般的なものはコストパフォーマンスが非常に悪いといった結果が出ています。つい何年か前に、聖路加国際病院の福井先生が厚労省の研究費で日本の論文を全部集めてやったのですが、健診というのは全く同じデータとなりました。

それはなぜかというと、今先生が言われたように、きちんとしたデータに基づいてそれを解析しないで、みんなが自分の診ている患者の印象とか勘でこれが大切だとか、これを見なきゃいけないっていうのと、もう1つは健診を公共事業と間違えている人たちとの癒着が大きな原因になっていると思います。

私が期待しているのは、この85cm、90cmで始まって、ある程度データが出てくると思うのです。久山町では既に90cm、80cmでデータが出ていますが、もう何年かたったら明らかに比較ができて、どっちが得か勝負がつきます。もう1つ、どういう理由かわかりませんが、例えば尿酸がなくなりました。その代わりに尿蛋白が入りました。ぅたがわしい項目の選択が、多分何年か先の近い将来に明らかになるのではないかと楽しみにしています(笑)。

清原:ぼろが出るということですね(笑)。

只野:久山町の40数年のデータは全て電算機に入っているわけですから、その膨大なデータを使い新健診で削除した項目、例ぇば尿酸ですが、本当に外して良いのか否か、それから腎臓疾患と先生たちの高血圧とか血管病で関係あるというのが出てきますから、BMIはちょっと問題にしても、クレアチニンで本当にそういうものを予測できるかというのをぜひご検討いただきたいと思っています。

清原:健診は限られた予算の中でやらなければなりませんので、診断基準もそうですが健診項目もあれもこれもできません。きちんとした疫学のデータに基づいて項目を決める必要があります。

只野:そう思います。

清原:一番コストパフォーマンスのいい健診スタイルを構築しなければなりませんが、それはまさにエビデンスに基づいてやらないと駄目です。日本はまだそれがちゃんとなされていない、というのが只野先生のご指摘なのだろうと思いますけど、全く先生のおっしゃる通りです。

只野:それはわれわれ検査をやっている立場から言うと、非常に怠慢であったと反省しています。本当はもっと我々がひとつひとつの検査というものが、ある病気を見つけるとか、その推移、あるいは予後の判定に対してどれだけ効いているのか、ということをきちんと調べておくべきだったのです。やらないままずるずると50年近く経ってしまって、いまこんな状態になっています。遅いかもしれませんが、やはり久山町研究のような非常に膨大な研究の中からもう一度ひとつひとつの検査項目について、それを切り口に見直してみると、案外もうこんな項目はいくらやってもしょうがないのだということが出てくるし、あるいはこの項目はどうしても入れなければならないのだ、というのも出てくると思います。楽しみにしております。


胃癌と血糖値の関係

只野:さて、次の話題ですが、悪性腫癌(胃癌)の研究についてです。今の日本の癌の研究というのはほとんど登録研究、あるいは追跡するようなことなのですけど、先生たちが癌、特に胃癌に目をつけられたのは何か理由があるのでしょうか?

清原:もともと久山町研究は脳卒中をはじめとする心血管病の疫学調査で、1960年代の研究当初のデータでは、高血圧が脳卒中の最大の危険因子として取り上げられていました。ところが最近降圧治療の普及によりましてその影響が減った代わりに、日本人の生活習慣の欧米化によって肥満、糖尿病、高脂血症など代謝性疾患が増えてきて、それが心血管病に大きな影響を及ぼすようになりました。特に私どもが注目しているのが糖尿病で、その頻度が特に増えており、脳梗塞および虚血性心疾患に与える影響も強くなっています。最近の集団では、高血圧よりもむしろ糖尿病の影響のほうが強いのではないかと考えています。私どもは、主に心血管病の発症を調べており、それに対する糖尿病の強い影響を見出しています。そうすると、糖尿病の方は、脳卒中や虚血性心疾患などの心血管病で亡くなっているだろうと推測できます。ところが、最近の久山町の人の調査では、糖尿病と心血管病死亡率の間にあまりきれいな関係は出ませんでした。代わりに、糖尿病と癌死亡の間に有意な関係が見出されました。最初は理由がわからなかったのですが、文献を調べてみると、既に100年以上前から糖尿病に癌が多いのかもしれないという論争がずっと続いていたのです。そして1970年代に英語のレビューが1つ出ていましたが、当時疫学エビデンスがないことから結論は出せないということでした。そこでさらに調べたら、すでに基礎的研究では、高血糖によって遺伝子が傷つきやすいとか、糖尿病に合併する高インスリン血症は癌細胞を増殖させるなど、糖尿病と癌の関係を示唆するデータがあることがわかりました。しかし、人間を相手にした疫学データだけがなかった。つまり、最近の糖尿病の人は生きているうちは心血管病にかかりやすいのですが、最後は癌にかかって死ぬので、癌が死因になりやすいということですね。

では、癌の死亡ではなく発症に糖尿病はどのような影響を与えているかを調べようと思い、日本人にいまだに多い胃癌の発症について検討しました。その結果、空腹時血糖値が高ければ高いほど胃癌発症率が有意に高くなるというデータが出ました。それも正常範囲の血糖レベルからその関係があります。

一方、胃癌といえばピロリ菌ですよね。消化器の専門家の中には、全ての胃癌はピロリ菌によって起こると言う方もいるのですが、疫学をやっている人間の目から見るとそれは賛同できません。日本人の中高年の男性の約7割、女性の約6割はピロリ菌を持っているわけですけど、それでは中高年の6割、7割はみんな胃癌になるかというと、現実は違うわけです。そうすると、ピロリ菌は確かに胃癌の危険因子かもしれませんが、それだけで全ての胃癌の発症が規定されるわけではないと言えます。そこで、空腹時血糖レベルと胃癌の関係をピロリ菌感染の有無別に調べてみると、血糖レベルと胃癌発症率の正の関連はピロリ菌陽性者だけに認められて、ピロリ菌陰性者にはその関係がありませんでした。つまり、ピロリ菌感染に高血糖・糖尿病が加わると胃癌が起こるということになります【図8】。


只野:発癌の何かが引き金を引く原因としてあるのでしょうね。

:ピロリ菌感染は胃癌の大きな危険因子ですが、プラスアルファの別の要因が加わることによって発癌のメカニズムが加速されるのではないかと考えています。その要因の1つに高血糖・糖尿病があるのでしょう。久山町の追跡調査では、高食塩食にもやはり同じような現象を認めています。ピロリ菌を持っている方が塩分の多い食事を摂ると、やはり胃癌発症率が有意に高くなります。

胃癌はいろいろなメカニズムで発生し、特にピロリ菌感染の影響が強いことは事実ですが、他の要因も複雑に影響し合っていることがうかがえます。そのようなプラスアルファの要因を調べることによって胃癌の発生メカニズムがわかり、それが胃癌の予防法の確立につながると考えています。将来は、大腸癌や肺癌など最近増えている癌についても調べたいと思います。

只野:ヘリコバクターピロリは上水道がだんだんきれいになればいずれ少なくなります。多分、今の若い人たちには非常に陽性率が低いでしょうけど、40代、50代、60代はそれこそ6割、7割持っていますから、しばらくの間は、ちょうど糖尿病を発症するような年齢なので、これは大きなテーマです。きちんとしたメカニズムがわかれば、それがいろいろな治療につながりますので、この研究はぜひ進める必要があります。


老年期認知症と耐糖能異常

只野:もう1つ先生、いわゆる老年期認知症にこういう耐糖能異常が大きな関係があるのでしょうか? アルツハイマーの発症は糖尿病を持っていると4~6倍も高いということですが、これはどんなところから気がつかれましたか。

清原:先ほど申しましたように、久山町研究は脳卒中の実態調査として始まったわけですが、時代とともに脳卒中の発症率・死亡率が減って日本人が高齢まで生き延びるようになりまして、久山町のみならず日本全体で人口が高齢化してくると、それまであまり私たちが注目していなかった認知症が80年代ぐらいからだんだん問題になってきたわけです。それで、当時の第二内科教授だった藤島正敏先生が「これからは認知症をやる」と言い出されまして、みんな認知症とはどんなものかわからないこともあり、やりたくなかったのですが、教授の命令ですので仕方なしに認知症の疫学調査を始めました(笑)。それからずっと継続してやっています。

ただ、久山町では亡くなると剖検しますので、関頭して脳も全部調べます。実は、これが認知症の実態調査にぴったりだというのが調査を始めてわかりました。と申しますのは、ある程度認知症が進んでしまうと、アルツハイマー病、脳血管性認知症、あるいは他のまれな疾患による認知症でもすべて寝たきりとなり、硬縮を起こして見分けがつかなくなります。つまり、認知症の病型診断が非常に難しいのです。そこで正確な診断をするには剖検しかないのです。久山町では亡くなった高齢者のほとんどを剖検しますので、認知症の疫学調査として世界で一番精度が高いといえます。

只野:世界一でしょうね。

清原:この久山町の追跡調査で認知症発症の危険因子を分析すると、糖尿病が脳血管性認知症とともにアルツハイマー病の有意な危険因子になるというデータが最近出てきました。糖尿病は脳動脈硬化を進めて脳血管性認知症をもたらすことはうなずけます。ところがアルツハイマー病については、それまであまり言われていないことでしたのでビックリしました。

最近、高齢者における認知症有病率の時代的変化を人口が高齢化していることを統計学的に除いて検討したら、1980年代から減少傾向にあった脳血管性認知症の有病率が2000年代になって上昇に転じていました。一方、私どもは、アルツハイマー病のような変性疾患には時代的変化はないものだと思っていましたが、その有病率も90年代の後半から2000年代にかけて有意に上昇していました。その一番大きな原因は、近年高齢者の糖尿病が増えていることにあると考えています。糖尿病は心血管病の危険因子でもあり、癌の危険因子でもあり、認知症の危険因子でもあるということです【図9】。


只野:先生たちのアルツハイマー病というか認知症の研究は、そうすると14〜15年前から行われていたのですか?

清原:1985年から研究しています。

只野:85年にある健康者を決めて、それを追跡していますね。確か65歳以上の人、828人の方を対象としていますね。それで、最終的に190名程度の人が認知症になって、その内88人がアルツハイマー病。アルツハイマー病と脳血管障害による認知症というのは、日本でも半分半分なのですかね。もっとアルツハイマー病は少ないように感じますが…。

清原:この調査では、65歳以上の健常高齢者828名を15年間追跡した結果、188名が認知症になりました。その内訳は、純粋なアルツハイマー病は61例、純粋の脳血管認知症は58例でした。純粋と申しましたのは、いろいろな原因の合併によって起こった認知症が45例いまして、この中にもアルツハイマー病と脳血管性認知症が含まれています。その症例を合わせますと、アルツハイマー病は96例、脳血管性認知症は79例になります。それぞれ、全認知症の51%と42%です。両者の合併は10例、5%程度です。

従来日本人は脳血管性認知症が多いと言われていました。もともと欧米白人に比べて多いのでしょうが、しかしわが国では脳血管性認知症を過剰診断していた可能性があります。85年の有病率調査で明らかとなった認知症例を剖検でよく調べてみると、結構アルツハイマー病の割合は低くなく、脳血管性認知症との比は1対1ほどでした。ところが先ほど申し上げましたように、その後脳血管性認知症は減ってアルツハイマー病は増えていますので、2005年の調査では、アルツハイマー病の有病率が脳血管性認知症の倍くらいになっています。

只野:そうですか。そうすると、例えば脳の中にタウ蛋白が蓄積し、それをインスリン分解酵素のような糖尿病関連の酵素が壊すとかなのですが、インスリンが少なくなって入らなくなるとそういう働きがなくなって蓄積するという、そういうことで発症すると考えて良いのですか?

清原:糖尿病は脳動脈硬化を進展させて脳血管性認知症を起こしますけども、色々な代謝障害を介してアルツハイマー病の原因にもなると考えられています。文献によれば、高血糖状態では酸化ストレスが増大しますが、酸化ストレスがあるとアルツハイマー病の原因物質であるベータアミロイドという物質が脳に沈着しやすいとされています。また、高血糖があると終末糖化産物という物質が血液中に溜まりますが、これがアルツハイマー病の人の脳に蓄積して脳の神経細胞を傷害しているとの報告もあります。さらに、糖尿病の人はインスリンを分解する酵素、インスリン分解酵素が少ないことが知られています。最近このインスリン分解酵素には、ベータアミロイドを除去する作用もあることがわかってきました。したがって、糖尿病の人はベータアミロイドが蓄積しやすく、アルツハイマー病にかかりやすいのではないかと考えられています。

只野:糖尿病は今、それこそどんどん増えています。やっぱり今までの日本の心血管障害、脳血管障害、癌、それから最近多い、第4の国民病である歯周病を入れましたけども、歯周病も糖尿病と非常に関係があるのですね。そうすると、それより前にいわゆる耐糖能異常を早く見つけてコントロールするということが先になりますか。

清原:そうですね。これからは糖尿病、耐糖能異常をいかに早期発見・予防するかによって日本人の生活習慣病の運命が決まるのではないかと私は思っています。

只野:特に白人に比べるとインスリンの分泌量が少ないし、なりやすいというもともとの体質を日本人は持っていますからね。

清原:現代人では、その日本人の体質に食生活を含む生活習慣の欧米化が重なっています。

只野:西洋食ですね。

清原:高蛋白、高脂肪の食事です。チョコレートなどの西洋菓子もそうです。

只野:とても処理できないようなものを食べていますからね。またバレンタインデーになると商業主義に乗せられてやたらとああいうのを配って歩いています。

清原:久山町では、5年に1回の一斉健診で、40〜70歳の健診受診者全員に75g経口糖負荷試験を行って糖尿病の頻度を正確に調べていますが、最近では男性の24%、女性の13%に糖尿病が認められます。つまり中高年男性の4人に1人が糖尿病の時代になっています。特に高齢者の糖尿病が増えていますが、それが癌や認知症の原因になっていると考えられます。


ゲノム疫学と脳梗塞関連遺伝子

只野:さて、いよいよ最後にゲノム疫学となりました。これは先生たちが大きなプロジェクトをつくって、そこで脳梗塞の関連遺伝子を見つけられました。今、久山町で進んでいるゲノム疫学の話をしていただけますか。

清原:心血管病、癌、高血圧、糖尿病などの生活習慣病は、生活環境要因と遺伝的要因が合わさって発症します。もともと疫学研究は生活習慣病の生活環境要因を明らかにして、生活習慣病を予防することが大きな目標です。遺伝的要因の調査方法は、家族歴を調べることくらいしかありませんでした。ところが、昨今の分子生物学の進歩によって、遺伝子情報を私たちでもある程度調べることができるようになりました。

実は、私どもはゲノム研究を本格的に正面切ってやろうとは思っていなかったのです。ただ、近い将来、ゲノム情報を生活習慣病の治療や予防、健康管理に役立てる時代が来ることが予想されますので、ゲノム情報を直接扱い、解析してみて、その感触というか実態をうちのスタッフに知っておいてもらいたいと考えて、久山町住民の血液サンプルを使ってゲノム解析を細々とやっていたのです。

久山町では、2000年までは住民から同意を取らずに疫学研究をやっていました。それまで40年にわたるお互いの信頼関係があって研究をやっていましたので、今まで同意が必要という意識が研究者側も住民側もなかったのです。住民の方々は皆さん、私たちが健診や剖検のデータを使って研究をやっているということをご存じで、それを応援して誇りに思ってくださっていたわけです。ゲノム研究もその流れで細々とやっていたら、住民の遺伝子を無断で解析に使っていると、マスコミで大々的に報道されたので、健診や研究に悪影響が出ることが憂慮されました。そこで、町長さんに謝り、町議会と区長会で謝りまして、さらに住民の方々に直接謝ろうとして各地区で謝罪と説明の会を開催しました。どんな非難を受けるかと思ったら、そこで住民の方々から「先生たちがゲノム研究をやっているとは知らなかったが、ぜひやりなさい」と、逆に激励されてびっくりしました。ちょうどその頃、アメリカを中心とする国際共同研究グループによってヒトの遺伝子の塩基配列が解読されたという報道がありました。住民の方から「ただ、ゲノム研究をやるからには、あのアメリカの研究に負けないようにやれ」と言われまして、本格的にやらざるを得なくなりました。それで大がかりな久山町のゲノム疫学研究を開始したのです。本音をいえば大変だからやりたくなかったのですが(笑)。

そこで、オールジャパンの研究チームを編成したり、文部科学省を説得して何とか競争的研究資金を取ってきたのです。実は私はゲノム分野では素人でしたので、かなり苦労しました。当時わが国ではミレニアムプロジェクトという、予算数百億円の大型のゲノムプロジェクトが進行中でした。生活習慣病に関連する遺伝子はほとんどわかっていませんので、それを探索しようというプロジェクトです。久山町のゲノム疫学研究は、このプロジェクトで見つかった遺伝子を久山町の住民で検証することが大きな目的でした。つまり、生活環境要因も一緒に解析して、新しく見つかった遺伝子がどの程度生活習慣病の発生に影響するかを検討するというものです。ところが、ミレニアムプロジェクトから全く成果が出てきません。検証する遺伝子が全く見つからないのです。そこで、私たち自身で生活習慣病の関連遺伝子を探索することになりました。久山町研究は脳卒中の疫学で始まりましたので、脳卒中の中で一番頻度の高い脳梗塞の関連遺伝子をターゲットにしました。でもゲノムの専門家は、アイスランドでは27万人の国民でやっているように、ゲノム疫学には数十万人の集団が要ると言うのです。

只野:アイスランドでは国全部でやっていますからね。

清原:英国は50万人の集団を作る計画があります。私は、そんな大集団を作るのは反対です。まず数百億円のコストがかかりますし、対象集団が大きくなればなるほどデータを集める医療スタッフも多くなるわけです。そうするとデータの精度が保てません。

只野:その通りです。

清原:生活習慣病には、片や生活習慣という大きな要因があるわけです。その要因の影響を受けている中で、本当の関連遺伝子を見つけるとなると、かなり精度の高い臨床情報がないと本物を見つけることができないと考えています。これは精度の高い疫学調査をやってきた経験から出てきた考えです。

生活習慣病の遺伝子を見つけるやり方は、その病気を持っている人と持っていない人の遺伝子を比較して(患者対照研究)、どこに違いがあるかをみることになります。その場合、高い臨床力を有する臨床医のグループが診断した患者群と、久山町研究のような精度の高い疫学調査で集められた一般住民の正常群の比較でないと、本物の遺伝子は見つかってこないと思います。そこで、日本のトップレベルにある九州大学第二内科の脳卒中グループが集めた1,100例の脳梗塞の患者さんと同数の久山町の健常者で、遺伝子解析をやりました。その結果、12の新しい候補遺伝子領域を発見し、その1つであるPRKCH遺伝子の成績を世界的権威のあるゲノムの学術誌である Nature Genetics に昨年発表しました。久山町の追跡調査では、この遺伝子多型は脳梗塞発症の有意な危険因子となります。これは、精度の高い患者対照研究が生活習慣病の関連遺伝子の探索に有効である、という私の考えが間違っていなかったことを実証したと思います。こちらですと数百億円の予算も必要ありません【図10】。


只野:こういうのはやはり基本的に久山町のデータがもともときちんとしているからです。それによって集まってきたデータを解析する手掛かりとか、意見を言える結果が出てきたのでしょう。物理的にお金さえあればみんな調べて、危ない人たちはこうしようとなって行くので、これはこれから楽しみです。いよいよそうなると先生は久山研究室の室長になった以上は、なかなかというか、もう逃げられませんね(笑)。

最後に先生、ちょっと一言。久山町研究の将来をどういうふうにデザインされているか、ちょっとお聞かせ願えますか。


生活習慣病の研究のメッカに

清原:久山町研究は九州大学第二内科が脳卒中の実態調査として始めた疫学調査ですが、今は生活習慣病全般を対象とするようになりました。現在、九州大学精神科、眼科、歯科の先生方が参加していますし、愛媛大学からの国内留学生も受け入れています。また、九州大学の3つの病理など、基礎分野の先生方も共同研究者として参加していただいています。さらに、東京大学および中村学園大学との間では栄養に関する共同研究が、横浜の理化学研究所および東京大学医科学研究所とはゲノムの分野で共同研究が進んでいます。これからもいろいろな専門分野の先生方に参加していただき、久山町における生活習慣病の疫学研究の枠をさらに広げて、久山町研究を生活習慣病の研究のメッカにしたいと思います。


研究者主導型の臨床研究の場に

清原:それから、先ほど申しましたように、脳梗塞のゲノム研究では、脳卒中専門医のロ先生方が1,000例以上の脳梗塞例を集めてくれて共同研究が始まりました。今後久山町研究は、患者さんの集団を対象にした臨床研究とも連携を組んでいきたいと思います。現在、医療の世界ではEBM(Evidence Based Medicine)の重要性が叫ばれています。多くの患者さんを追跡してその予後をみる大規模臨床研究を行い、その知見、エビデンスをもとに医療を行うというものですが、わが国では大規模臨床研究の成果がほとんどありません。つまり肝腎のエビデンスがないのです。最近いくつか報告されていますが、それは製薬会社が主導したものです。それは結局自社製品の優越性を何とか証明し薬を売るための研究ですから、バイアスがないとはいえないと思うのです。本来あるべき姿は、研究者主導型の臨床研究です。

わが国では、患者さんを何千人集めましたという研究はあるのですけど、その集団を追跡して予後を見た研究はほとんどありません。その理由は、臨床の先生方は追跡のやり方が分からないことと、コストが掛かるからです。確かに製薬会社は数十億から百億円単位の膨大な資金を使って臨床研究を行っています。まさに金の力で追跡研究のデータを出しているわけですけれども、久山町研究の追跡のノウハウを臨床研究に応用すると、コストは製薬会社の数十分の1でできるのです。これから、臨床の先生方と連携して患者集団、疾患コホートとも言いますが、を作って追跡し、そこで日本人のためのEBMのエビデンスを作っていきたいと考えています。さらに、その成績と久山町疫学の成績を比較した。補完することで、お互いのデータの賃をさらに高めることができると思います。それが日本人の生活習慣病の予防、早期発見、そしてよりよい治療につながることを期待しています。

只野:久山町研究は本当の意味の日本で初めての臨床疫学です。今まで行われてきた薬の会社主導のものは、ほとんど世界的には相手にされません。だからやっぱり今言われたように、それこそ専門家が集まって、みんなそれぞれの立場で久山町のデータを使い、また方式を取り入れてやっていったら、ものすごく面白い研究ができます。

清原:いろんな専門家に参加していただきたいと思いますが、実は久山町研究で一番手薄だったところはデータの精度管理の分野です。この分野で只野先生のグループに入っていただいてご指導いただき、久山のデータのレベルアップにご協力いただければ幸いと考えています。そんな形で、いろいろな専門家が集まってくると楽しい仕事ができると考えています。

只野:この間集まったときに、先生のところの40年のデータ、昭和36年から平成14年まで全部整理できましたので、それをぜひいろいろなことで使っていただきたいと思っています。検査の結果は非常に精度の高い、きちんとした検査をやっていますから、もう1回、検査の目からぜひ久山町の今までのいろいろな研究成果を見直して欲しいと思います。

清原:逆に、先生に久山のデータを見直していただき、さらに活用していただきたいと思います(笑)。

只野:どうも本当に先生、長い間大変楽しい話、ありがとうございました。


参考文献

1)祢津加奈子著:剖検率100%の町 九州大学久山町研究室との40年、ライフサイエンス出版株式会社、2006年2月14日改定2刷

2)秋田県立脳血管センター(http://www.akita-noken.go.jp/)

3)清原裕.メタポリックシンドロームの脳卒中発症リスク-Japan Arteriosclerosis longitudinal Study(JALS)-.第18回日本癌学会学術総会要旨集.